「俺がこの世界にいたい理由」
正確にはそれが何を指すのかはわからない。
でもなぜかすべてが繋がった気がした。
ここから先は個人的な推測かつ妄想に過ぎないのであしからず...
最近読んだ雑誌に「1年後の自分へ」というタイトルで1年後の自分宛のメッセージがのっていた。
そこにかかれていた大我くんの言葉は
「不本意なことも多いだろうけど、いろんなことに慣れていっても染まらないでね。俺がこの世界にいたい理由が変わっちゃうから」
という言葉だった。
1年後の自分宛に大我くんは何を伝えたかったのだろう。「俺がこの世界にいたい理由」とは何なのか。
いつも多くは語らない大我くんだからこそ、それは特定の人へ向けたメッセージのようにも感じる。
ここ最近の大我くんの語る言葉はずっと一貫しているように感じていて、何か芯になる部分があるのではないかと思っていた。
本当は目立つことが苦手。
「本番前は極度にビビっちゃう。ジュニアの番組でさえ手が震えるくらい」
「他のメンバーよりテレビに出る機会が少ないぶん、特に生放送で歌う時は頭が真っ白になるくらい緊張する」
そんな大我くんが手を震わせながらもステージに立って音楽を表現する理由。
作詞したソロ曲であえてネガティブな部分や闇の部分をさらけ出した理由。
大我くんを見ているとパフォーマンスや言葉の端々からそのかけらが垣間見えるような気がする。
音楽でファンに届けたい本質には何がありますか?
という質問に対して
「悲しみや孤独、寂しさと向き合って、逃げずに寄り添うことができる楽曲を個人としては目指しています」
と大我くんは回答していた。
「俺も苦しいけど逃げないからみんなも一緒に頑張ろう」
常にそういう心持ちなのだ。
ニュージーズが中止になった次の日には弾き語りの動画をあげてくれた。
「俺なりのやり方でみんなに寄り添わせてね」
大我くんは自分がいちばんしんどいときにひとのことを想えるひと。
アイドルとしてもそうだけどやはり“京本大我”という“ひと”を尊敬する。
デビューシングル発売のときには
「毎回魂込めて歌うから。この先、喉を酷使して、どんなに悲惨な状況があってもしっかり魂込めて歌うから」
と誓ってくれていた。
そんな大我くんのアイドルとしての姿を通してある言葉を思い出す。
デビュー直後に大我くんが「誓いの言葉」として語っていたこと。
「ファンの人たちの中には俺と同じようにメンタルが弱かったり、緊張したり、ちょっとネガティブだったりする人がいると思う。でもそれがそういう俺でありながら俺がこの仕事を続けてる意味」
という言葉。
いろいろ考えたけれど、やはりそれが「俺がこの世界にいたい理由」な気がしている。
「この挑戦から逃げ出したら、ラクだとは思う。でも、例え成功しなかったとしても、挑戦しているオレを見て、ファンの人が“私も負けてられない”って思ってくれるかもしれない思うから、そこを逃げずにいられる。だからファンのみんなとはライバルでありたい。生きる上でのライバルね」
この世界で生きていくことはラクなことじゃない。でもあえて挑戦する理由はここにある。
2年前に大我くんが語っていた言葉で大好きな言葉がある。
「自分のファンをめちゃくちゃ大事にしてるんです。だから、ずっと大事にするんで安心して心を委ねてください」
そのときはわからなかった。いったいどういう意味なんだろう?アイドルとファンの関係性における「大事にする」の定義とは?でもまあ大我くんがそう言うならとりあえず心は委ねておこう。そんな気持ちだった。
でも今ならわかる気がする。大我くんの“めちゃくちゃ大事にする”ってどういうことなのか。
大我くんがアイドルを続ける限り、大我くんの「この世界にいたい理由」が変わらない限り、きっとめちゃくちゃ大事にされ続ける。
大我くんにとってアイドルの定義とは
「だれかの光にならなきゃいけない」
ということらしい。そして
「常にそれを自覚して行動したい」
と。
大我くんを見ていると、そういう思いが芯になっていて、それを守り抜こうとしていることが伝わってくる気がする。
1年後も5年後も10年後も「この世界にいたい理由」が変わらないでいてほしいなと思うけど、でもやっぱりいちばんは大我くんが大我くんの音楽を楽しんでほしいなと個人的には思う。
大我くんの表現するものが大好きだから。
大我くんの「俺がこの世界にいたい理由」も、それを懸命に貫こうとする大我くんのことも大好きだ。
それが“アイドル”としての“京本大我”の姿なのだと思う。
きょもゆごって
髙地くんが1万字インタビューの中で語っていた。
「大我は個のスキルが飛び抜けている。成長のための努力も厭わない。だからこそ何度か“グループを辞めたい”って相談、俺にしてきたよね」
“グループを辞めたい”
やっぱりか、と思った。『SixTONES 京本大我くんの好きなところ』のブログにも書いたけれど、そのような時期があったことは薄々勘づいていた。
でも、いざその字面を目にすると本当に本当に本当だったんだなって心の中にグサグサと刺さった。
「SixTONESの好きなところは、楽観的なところかな。時にはそれが嫌いなところでもあるんですけどね(笑)」
昔大我くんが雑誌で語っていたこの言葉がここ最近までずっと忘れられなかった。明るく話してはいるけれどきっと本心だったんだなって思って。
大我くんにそういう時期があったことは確かだ。そして“グループを辞めたい”という言葉が心に重く刺さったことも事実だ。
でも、このあとに続く髙地くんの言葉を聞いて、大我くんが相談した人が髙地くんで心の底から良かったと思った。
「その気持ちよくわかったよ。やる気が表に見えにくいメンバーを見ると、“俺はこんなにがんばってんのに”って思ってしまうんだなって。相談されたとき、俺は引き止めたことないよね。いつも“どんな決断をしてもいい。でもひとつだけ覚えておいて。本気なのかわかりにくいヤツも確かにいる。だけど俺らは全員SixTONESにかけてるよ”って」
最初はこの髙地くんの言葉、大我くんが言っていた言葉とよく似ているなと思った。
でもたぶんそうじゃなくて、髙地くんの言葉を大我くんが受け入れたのかもしれないと気づいた。
デビューちょっと前に大我くんはSixTONESとのことを「ちょっと合わないなって思うところがあった」って明かしていた。
「でもそれはある意味、俺がみんなのことを上から見てたんだよ。自分の方が頑張ってるって思っちゃっていたんだと思う」
「正直、5人のすごさがここまでとは思わなかったな」
と。
そして、今日BOURGEOISを読んで思ったこと。
「二択で悩んでいた時に、友達にBの方を推されたら、自分はAだと思っていてもBの方が良いのかと結構呑まれやすい部分もあります」
そしてその条件は “信じている人”
もしも大我くんが語るこの “京本大我” に
「グループを辞めたい」と髙地くんに相談したことも当てはまるのならば
大我くんにとって髙地くんは “信じている人” で
結果的に大我くんは髙地くんの言った方を選んだ
とも言えるかもしれない。
真実はわからないけれどひとつ言えることは、大我くんのそばには髙地優吾という人がいて、大我くんが悩んだときに相談したのが髙地くんで本当に本当によかった、ということ。
髙地くんが選んだ言葉はきっと大我くんの心に届いて、大我くんは髙地くんとSixTONESを信じた。
RIDE ON TIMEの中で大我くんは「俺はデビューしたくない」と語っていた。
でもそのあとに
「3人とか4人とか5人デビューしたいと思ってるなら、俺はついてく」
と話してくれた。
これも “京本大我” の条件に当てはめるなら
SixTONESの5人は “信じている人”
一時は「グループを辞めたい」「合わない」と思っていたかもしれないけれど、髙地くんが言うようにきっといま大我くんがSixTONESにいてくれることがすべてだと思う。
普段男子中学生みたいなやりとりをするきょもゆごからは想像できなかったけど、きょもゆごは思っていたよりもずっと深いところで繋がっていた。表面上は明かされてないけどSixTONESって思っているよりもずっと深い絆で繋がっているのかもしれない。
大我くんがSixTONESでいてくれてよかった。
改めてそう思った。
そしてきっとまだまだきょもゆごって奥が深い、気がしている。
SixTONESジュニア最後の公演の記録
2020年1月7日 夜公演
その公演は2020年1月22日にデビューを迎えたSixTONESにとって、ジャニーズジュニアとして最後の公演だった。
あの日SixTONESは泣いていた。その姿を見つめるファンもみんなみんな泣いていた。
6人がどういう思いを抱いていたのか、なぜ泣いていたのかすべてを知ることはできないけど、走り出したSixTONESを応援する上できっと忘れることのできない原点になったように感じる。
コンサートの終盤、ジェシーちゃんは言った。
「皆さんSixTONESは今どんな表情をしてますか?みんないい表情してるでしょ〜!皆さんのおかげです!」
そんなジェシーちゃんは涙か汗か分からないほどにほっぺたをいっぱい濡らしていた。でもそれを拭うことなく、ずっとまっすぐ遥か彼方を見据えるように遠くを見つめて歌っていた。
北斗くんも泣いていた。
「俺たちと一緒にこのトラックを歩いてくれませんか?新しい道作ってみませんか?」
と力強く叫びながら泣いていた。
“ジュニア最後の公演”を終えるのが名残惜しかった。デビューへの期待と不安、ジュニア時代の思い出、嬉しかったことや楽しかったこと、いろんな想いが込み上げてきて、言葉にはできないけれど涙となって溢れた。
そんな中ダブルアンコールで急に大我くんが
「ひとつわがまま言ってもいい?」
と言った。
そのわがままは
「『俺たちがジャニーズジュニア〜!』って言いたい」
というわがままだった。
大我くんのジュニア最後のわがままだったのかもしれない。ジュニア時代のことを大切に大切に思っているからこその言葉だと思う。
「卒業したかったけど大切だった」
ジュニア時代のことをそう振り返る大我くんだから。
大我くんの最後のわがままを聞いて、樹ちゃんはくるっと客席に背中を向けた。多分、泣いていた。
“俺たちがジャニーズジュニア”
涙と笑顔の“ジャニーズジュニア”だった。
6人でそのまま円陣を組んで、泣きあって笑いあっていた。
そんなSixTONESを見た客席からはどこからともなくSixTONESコールが始まった。
6人の空気感、6人を包む会場の空気感、なんだろう、すごくすごく心に残るものだった。
SixTONESは最強で最高だ、と心の中で思った。
わりと長い時間6人で円陣を組んでいたように感じたけど、実はそのときジェシーちゃん
「ジャニーさんありがとう」
と言っていたそうだ。
髙地くんはジャニーさんにも見てもらいたかったなってジャニーさんの名前を叫んでいた。
そしてそれを聞いてさらに号泣しちゃった樹ちゃん。
SixTONESという名前をつけてくれたのも、デビューを決めてくれたのもジャニーさんだもんね。
慎太郎は終始笑顔でみんなの背中をポンポンしていたように見えたけど、本当は涙が出るのをなんとかこらえていたらしい。
それはジャニーさんに「ステージ上では泣いちゃダメだよ」って言われていたから。
「みんなが泣いてるとき、笑っているヤツがいた方が安心するかなって」
慎太郎らしい。でも後ろを向いてちょっぴり泣いちゃったそうだ。ありがとう、慎太郎。
大我くんは最後のわがままを言ったときもケロッとしていたのに円陣から帰ってきたら泣いていた。
「俺が言い始めたのに泣いちゃったよ〜」
って泣きながら笑っていた。きっと横アリ初日の涙とは違う涙だったと思うな。
SixTONESがSixTONESでよかったと思えた瞬間だった。
2019年8月8日、デビューが発表された日、特に泣いたり喜んだりしなかったSixTONESがやっと感情を出してファンにその姿を見せてくれた日になったようにも感じる。
デビュー発表からずっと張り詰めていた思いがSixTONESとSixTONESのファンだけの空間でやっと溢れ出たという気がする。
でもそれがずっとずっと見たかったSixTONESの姿だった。
それは絶対に忘れたくない記憶であり、きっと原点になる。
立ち止まったりぶつかったりしたときにあの日を思い出すための記録。
これまでのSixTONESも大好きだけど
きっとこれからのSixTONESも大好きだから
SixTONESがたくさんたくさん笑って過ごせる未来が待っていますように、願いを込めて
『京本大我 リモート妄想cover Live 2020』に馳せる妄想
京本大我 リモート妄想cover Live 2020
公開されてからはや1日。
正直、わたしはHANABIくらいしか知りませんでした。あと大我くんが前に十八番だと言っていた東京流星群。
京本担として!このcover Liveに参戦するには!
まずは曲を知ることから始めなければ!
でも、知らないってことは逆にいえばまっさらな気持ちで曲を知ることができます。楽しみが増えた。よかった〜知らなくて。(スーパーポジティブ)
知らないことを自覚することが大事だよな。無知の知です。
っていうわけで、昨日と今日セトリを聴きまくっていました。自分がハマりそうな曲も何曲かあった。
曲のことがだいたい分かってきたら、今度はせっかく大我くんがこの曲を、この順番で、選んだのだから、その理由を考えたくなった。
だから大我くんが歌っていると想像しながら、大我くんのことを考えてみました。完全に個人的な解釈ですので、あしからず。
そして全部に対して考察していたら多分卒論くらいの文字数になってしまうと思うので、とりあえずアンコール以降、わたしなりに感じたことを書いてみます。
『カタオモイ』Aimer
僕がギターを思うように弾けなくなっても
心の歌は 君で溢れているよ
高い声も出せずに思い通り歌えない
それでもうなずきながら一緒に歌ってくれるかな
割れんばかりの拍手も 響き渡る歓声もいらない
君だけ 分かってよ 分かってよ
アンコール1発目に大我くんはこちらを持ってくるんです... こんなの泣くしかない。ここの歌詞を聴いた瞬間、涙が止まりませんでした。
“この先、喉を酷使して、どんなに悲惨な状況があってもしっかり魂込めて歌うから”
そう言っていた大我くんを思い出して。
大我くんは歌が上手だし、たくさんうれしい評価もあったけど、わたしは何より大我くんの歌に対する“気持ち”に感動する。
うたえなくなっても、うたう。
そんな歌に対する想いと覚悟。もしも大我くんが歌えなくなってしまっても、その歌を聴きたい。
“上手いで終わらせたくない、鳥肌立つくらい感動してもらったり、人の心にまで歌を響かせてくれるアーティストになりたい”
人の心にまで響く歌。それが大我くんの思い描くアーティストで、それこそが人を惹きつける理由なのかなと思う。
あと『カタオモイ』の最後の歌詞、
「愛してる」
で終わるんです。
雑誌では「甘い言葉とか決め台詞とか言えない」って言うのに、コンサートのアドリブでは「お前ら愛してるぞ」って言ったり、モニターに映る手書きの文字は「いつもありがとう 大好き」だったり。大我くんはやっぱりすごくすごくファンのことを大事にしていると思う。
この曲が「愛してる」で終わるのは偶然かもしれないけど、この曲をアンコール1発目に持ってきた理由がそこにあるのかもしれないなって思ったりしているのです。
『春の歌』スピッツ
春の歌 愛と希望より前に響く
聞こえるか?遠い空に映る君にも
春の歌 愛も希望もつくりはじめる
遮るな 何処までも続くこの道を
1回聴いた感じだと、大我くんにしては明るい曲だと思った。けど、違った。
この歌に関するとても興味深い考察を見つけたのだけど、なんといってもはてブロ音痴、紹介の仕方が分かりませんでした。ごめんなさい。でもそれを読んだら、大我くんがこの曲を選んだ理由がわかった気がした。
要約すると、夢に向かう途中、数々の障害を乗り越えてきた。見えないところでの努力はいつか報われて、光を浴びる日がくる。という感じ... (端折り過ぎ)
うまく伝えきれませんが、興味ある人はぜひ読んでみてください!『春の歌』の考察。
最後の「春の歌 愛も希望もつくりはじめる遮るな 何処までも続くこの道を」は大我くん自身もその歌詞に勇気づけられたのかもしれないし、この曲をセトリにいれたのはそういう思いに共感してファンのこともも勇気づけたいと思ったのかもしれない。
なんだろう、ちょっとポジティブな『癒えない』のような感じと、自分の選択に迷ってる人の背中を押す曲『SUNRISE』の要素を感じた。
手探りで光を探して歩んできた大我くんが、もしもこの『春の歌』を歌ってくれたら説得力しかないですね。
ちょっと長くなってきているので巻きでいきます。
『東京流星群』SUPER BEAVER
一昨年くらいに大我くんがカラオケの十八番だと言っていた曲。当時はじめて聴いたときに
僕にとっての苦しみと 誰かの歓び
という歌詞に聞き覚えがあるような気がした。
そこで思い出したのが、『白い心臓』
“僕がいるこの場所も誰かにとっての幸せなのに”
という文章。はじめて白い心臓を読んだときはあまりの闇に言葉を失ってしまったけど(笑)
大我くんが十八番という『東京流星群』と大我くんが書いた『白い心臓』
どこか通ずるものがあるように感じた。
正直この曲に関してはそれくらいしか思いつかなかったけど、作詞作曲の柳沢さんが「世間的には東京っていう字が故郷って言葉になることはないと思うんだけど、俺らにとってはそれ以外の何ものでもない」って話してるのを読んで、大我くんも東京で生まれて東京で育ったんだもんな〜って思いを馳せたりした。
よく歩いて帰ることがあるって大我くん言ってたし、星を見ながら帰ったりするのかな〜とか考えてました。そのくらい。深い話できなくてごめんなさい。
『The hole』King Gnu
ダブルアンコールにこの曲をもってくる!?暗くない!?と思ってしまってごめんなさい。なんか色々考えてたらめちゃくちゃ泣いた。いちばん泣いた。
ぽっかりと空いたその穴を
僕に隠さないで見せておくれよ
傷には包帯を
好き勝手放題の
世界から遠ざけるように
僕が傷口になるよ
もうなんか、要するに、
“俺なりのやり方でみんなに寄り添わさせてね”
だし
“ファンの人たちの中には俺と同じようにメンタルが弱かったり、緊張したり、ちょっとネガティブだったりする人がいると思う。でもそれが、そういう俺でありながら俺がこの仕事を続けてる意味”
だし
“明日からも強く生きようね”
だし
“自分のファンをめちゃくちゃ大事にしてるんです。だから、ずっと大事にするんで安心して心を委ねてください”
じゃないですか............?
ぶつかっても挫折しても闇の中にいても努力して努力して努力して光を模索してファンを元気づけてくれて寄り添ってくれて大事にしてくれる大我くんを思い出してめちゃくちゃ泣きました。
京本大我 リモート妄想cover Live 2020 を通して感じたのはやっぱり大我くんの愛ですね。最終的に、愛。
また大我くんのことが一段と好きになるコンサートでした。(妄想)
いつか実現させてね!
おしまい
入所14周年おめでとうございます
大我くんが2006年5月4日に入所してから14年。
入所14周年ということで、大我くんがアイドルとして生きてきた軌跡をジャニーさんのエピソードとともに振り返ってみました。
大我くんを見つけたのはジャニーさん。
当時まだ大我くんは小学生。
ジャニーさんからのお誘いにパパが大我くんに気持ちを尋ねてみたところ、「ぜひ自分の目で見てみたい」と強い意志だったそう。
それから自分の意思で何度も見学に行き、あるとき楽屋前の廊下で遊びで青春アミーゴを踊っていたら偶然ジャニーさんが通りかかり、「出てみる?」と聞かれて大我くんは「はい」と答えた。
いまから14年前、大我くんはステージに上がる決意をした。
このとき既にパパはこれから大我くんに立ちはだかるであろう宿命のことも分かっていた。
“彼には僕という親がいる以上、どんなに自分の手で掴んだ運や実力であっても、七光りなどと言われてしまう環境、宿命にあります”
それでも、パパは大我くんを送り出し、ジャニーさんに厳しいご指導を、とお願いした。
その願いがあってか、ジャニーさんは大我くんには厳しかったように思う。
ジェシーちゃんが歌詞を間違えたら「ライブ感があって最高だよ」と褒めるのに、大我くんが歌詞を間違えたら「最悪だよ」って怒った。
大我くんが髪色をピンクにしていた時期に、それを見たジャニーさんは「役でもないのに髪色に頼るのは実力がないからだよ」と怒ったこともある。
大我くんはそれが悔しくて、家に帰って手洗いうがいもせずまっ先にハサミを持って自分で短髪にした。どんな髪型でもやれる!ってとこを見せてやろうと思ったそう。
きっと相当悔しかったのだと思う。そんなに衝動的になってしまうくらいだから、それは図星だったのかもしれないし、その歯がゆさは自分自身がいちばん感じていたことだったのかもしれない。
でもそんなジャニーさんも大我くんの歌には一目置いてくださっていたように感じる。
大我くんが中学生くらいのときに鼻歌を歌っていたら、ジャニーさんの目にとまってコンサートで歌わせてもらったことがある。
舞台の初日の朝に演歌を歌うことが決まり、休憩時間や昼食時間も必死に練習して間に合わせ、ジャニーさんから褒めてもらったこともある。
また、大我くんをエリザベートのオーディションに推薦したのもジャニーさんで、舞台ごとや演劇ごとになるといつも大我くんを推薦してくださっていた。
そして、ジャニーさんは大我くんに「ミュージカル合ってるよ」とも言ってくださった。
ジャニーさんが大我くんを甘やかさなかったのは、パパも懸念していたように、大我くんが絶対にぶつかるであろう“宿命”のことを分かっていたからではないだろうか。
“何をしても父の名前が先に出てくるのが嫌で、中高生の頃は自分の境遇を恨んでさえいました”
オーディションに受かって出演が決まったエリザベートでも、「2世だから」という声が聞こえた。
大我くんがパパのことを芸能界の先輩として尊敬していることは十分に伝わってくるし、いまでこそ自分からパパの話をしたり、バラエティでネタにしたりするけれど、やはり大我くんにとってその“宿命”はとてつもなく大きな壁だったのだと思う。
大我くんが「すごいな、頑張ってるなって言われたい」と言うのは、やっぱり認められたいという思いが根底にあるからなのかなと思うけど、「それが原動力でもある」といういまの大我くんは強い。体だけでなく心も、強くたくましくなったように感じる。
一度はジャニーズをやめることも考えていた。
でも、「やめます」と言ったことを撤回しにジャニーさんの元に謝りに行った大我くん。
「なかったことにしてください」と言うと「僕なにも聞いてないよ」とジャニーさんは言った。大我くん、ジャニーさんからとってもとっても愛されてる。
SixTONESのデビューを発表する2019年8月8日の少し前、大我くんは髪色を暗くした。その理由はドーム公演への決意表明。きっとジャニーさんも見てくれているだろうから、ということだった。
髪をピンクにしていてジャニーさんに怒られたときはそれが悔しくて短髪にしたけど、今度は大我くんの“決意”。
なんだろう、うまくいえないけど、“決意”の中にはこれまでのジャニーさんへの想いもあったんじゃないかなと思う。
それから、ジャニーさんが大好きだったというニュージーズ。そのことをのちに知った大我くんは
“俺の口から直接、ニュージーズ決まったよって言えなかったけど、ジャニーさんの大好きな舞台で、恩返しできたらいいなっていう気持ちです”
と言っていた。大我くんが舞台に立つことはジャニーさんへの恩返しになる。大我くんはそんな強い気持ちを持っていた。
大我くんが入所して14年。ジャニーさんに見つけてもらって、華やかな世界に飛び込んだ大我くん。ときには厳しくされたり、怒られたり。大我くんもまたそれに反抗したり。でも、常にジャニーさんの大きな愛に包まれていたからこそ、いまの大我くんの中には“恩返し”という思いがあるんだろうなって感じられる。
大我くんがジャニーさんに出会ったこと、SixTONESに出会ったこと、それは奇跡ともいえる軌跡で、大我くんの運命。
大きな宿命を背負って走り続ける大我くんの運命をどこまでも見守り続けたい。
京本大我くん
入所14周年おめでとうございます。
京本大我くんのうた
大我くんが今までに作詞や作曲をした曲をまとめました。
Tears(作詞・作曲:京本大我)
2014年2月12日 少クラにて披露。
大我くんが初めて作詞作曲をした曲。
作ったのは2013年...?
2015年1月7日 少クラにて樹ちゃんのラップありバージョンを披露。
樹ちゃんがラップをつけた経緯、詳細は分かりませんでした。ご存知の方教えてください。
Tearsは大我くんのおばあちゃんが大好きな曲だそうです。
Loving(作詞・作曲:京本大我)
2014年7月ガムシャラSexy夏祭りにて披露。
大我くんと樹ちゃんふたりで歌った曲。
大我くんのアカペラに樹ちゃんのラップを重ねて歌った。
僕らの朝(作詞:京本大我、作曲:JぇSSE)
2015年2月ガムシャラにて披露。
大我くんが作詞、ジェシーちゃんが鼻歌で作曲を担当。
大我くんは松本潤くんの映画『陽だまりの彼女』に感化され、あたたかい気持ちになってほしいという思いを込めて作った歌詞だそう。
2014年クリスマスに作った曲。
2016年9月少年たちにて披露。
大我くんが手越くんに曲をかいてほしいとお願いして、手越くんが作って渡してくれた。(少年たちの4ヶ月くらい前。このときは披露する場所は決まっていなかった) ジャニーさんの提案で急遽少年たち初日の3日前に劇中で披露することが決まった。すぐに手越くんがスタジオを押さえてくれて、手越くんのアドバイスを受けながらレコーディングをした。少年たち初日の前日に手越くんがスタジオでコーラス、上ハモ、下ハモを録ってその日の夜に大我くんに曲を送ってくれた。手越くんは「やっと歌えるな。初日、頑張ってこいよ」と言ってくれた。
※ 2019年1月7日 NEWS DOME TOUR 2018-2019 EPCOTIA -ENCORE- にて手越くんが茜空を披露。その際モニターに映る歌詞は大我くんが書いたものだった。手越くんから書いてほしいと頼まれたそう。
Why(作詞:JぇSSE/京本大我、作曲:BOYES PETER /HALLGREN JON)
2017年2月東西SHOW合戦にて披露。
大我くんとジェシーちゃんが一緒に作詞をした曲だということは千穐楽で発表した。
本番4日前くらいに作ることになった。日本語が得意でないジェシーちゃんが「こういう感じのいい歌詞ない?」と言うとそれを大我くんがうまく言葉にしてくれたとのこと。
SUNRISE(作詞・作曲:京本大我)
2017年8月キントレにて披露。
エリザベートに初めて出演していたとき、自暴自棄になって逃げ出しそうになったことがある。でもそんなときにミスチルの曲を聴いて元気をもらった。自分もこういう歌を作ってファンの人の力になれたらという思いから、自分の選択に迷ってる人の背中を押すために作った曲。
アイドルというものがどうしても向いてる気がしなくて、甘い言葉とか決め台詞とか言えないけど、どうしたらお客さんを元気づけられるかなって考えて歌った。
癒えない(作詞:京本大我、作曲:飯田涼太)
2019年3月CHANGE THE ERA -201ix-にて披露。
HARUTOのリハの空き時間で作った。
テーマは心のモヤモヤや沸々としたような落ち着かなさ。それと、いろんな意味での“言えない”
演出で振りかざした最後の白い光には、歌詞にもリンクする意味が込められている。誰にでも絶対に手を差し伸べてくれる人はいるはずだし、自分自身が輝ける場所も絶対にあって。ただそれに気づけてないだけかもしれない、という思い。
本当は前向きなメッセージソングを歌おうとしたけど、その前に闇属性の自分を見てもらいたかったそう。そうすることで前向きな曲を歌うときにもっと寄り添えると思うから。
【おまけ】
おしりぺんぺんの歌(作詞・作曲:京本大我)
2018年2月ジュニア祭りにて披露。
〈歌詞〉
ぺんぺんぺん おしりぺんぺんぺん
僕のおしりを さわりたいのかい?
ぺんぺんぺん おしりぺんぺんぺん
ぼくのおしりを たたきたいのかい?
ひたすらおしりふりふりしながらぺんぺんたたく歌。
抜け、訂正、追記などございましたら、是非教えてください。
「ニュージーズ 主演 京本大我」 の記録
2012年にトニー賞を席捲したメガヒットミュージカルが、満を持して日本初上陸!
そんな見出しとともにメールが届いたのは2019年7月11日のお昼ごろだった。大我くんの主演舞台が決まった...!一気にTLがお祭りになったのを覚えている。
大我くんの主演で、ディズニーの大ヒットミュージカルで、それも日本初演で、日生と梅芸のメインホールで、小池先生の演出で、豪華なキャストで...
とんでもない舞台だ... あまりの情報量に頭が追いついていなかったけど、とにかくうれしかった。まだ1年も先の舞台だけど、たのしみでたのしみで仕方なかった。
大我くんをキャスティングしてくださったのは小池先生だった。
“『ニュージーズ』というものをやるとなった時に、「誰を?」と思い、もちろん色々な若い俳優さんたちはいっぱいいるのですが、役の年齢設定が17歳なのでなるべく若手でと思った時に、京本大我という名前がすぐに浮かんだので、改めて出演のお願いをしました”
小池先生の頭の中に“京本大我”という名前がすぐに浮かんだそうだ。それはきっと、ルドルフとともに成長してきた大我くんのことを間近で見てくださっていたからだと思う。
エリザベートのオーディションの際、当時19歳だった大我くんを見て、小池先生は「この人は先々本格的なミュージカル俳優としてずっと行く人であろう」と感じたそう。
大我くんもまた、
“小池先生が責任を持って育てると選んでくださって、僕のミュージカルの道は始まったと思います”
と話していた。
初めてエリザベートにルドルフ役で出演した年の初日、頭が真っ白になって放心状態で終演した大我くん。その直後に小池先生が大我くんの楽屋に来て、抱きしめてくれた。
“君はミュージカルを続けなさい”
大我くんを抱きしめながらそう言ってくださったそう。
それから小池先生に何を言われても、「先生が続けなさいって言ったんだからね!」って思うようにしてる大我くんは本当にかわいいけど(笑)だからこそ、小池先生が選んでくださった主演というのは、本当に特別なものだったように思う。
それもニュージーズが決まったのはSixTONESのデビューが決まる前の話だった。
“正直申し上げてその時点で「SixTONES」でデビューということが決まっていたら、ここにはいてもらえなかったかもしれない。ちょっと早めにお願いをしたのが良かったのかもしれません(笑)”
と小池先生はお話されていたけど、本当に大我くんの実力だけを見て選んでくださったんだなと、またうれしくなった。ルドルフとして選んでくださったときもそうだった。
“役者さんの二世であるとか、ジャニーズの中でプッシュされているというようなことよりも、本人の芸事に対する熱心さと、ミュージカルに対しても、これから先もずっとやっていきたいという意志を感じた”
小池先生は“京本大我”を“京本大我”として評価してくださっている。大我くんに出会ったときからずっと。そしてきっとこれからも。それが本当に本当にうれしい。
また、ニュージーズというミュージカルはジャニーさんも大好きな作品だったようで。主演が決まった直後にTravis Japanの宮近くんが教えてくれたそう。ジャニーさんはトラジャにニュージーズの動画を見せて、「ユーたちもこういうのをやった方がいい」と言っていたらしい。
“ある種、オレがジャニーさんの夢を叶えられているのかな”
“ジャニーさんがやりたかった作品に携われることに、より使命感を感じます!”
“俺の口から直接、ニュージーズ決まったよって言えなかったけど、ジャニーさんの大好きな舞台で、恩返しできたらいいなっていう気持ちです”
と大我くんは話していた。ニュージーズはジャニーさんが大好きだった作品だと知って喜び、また大我くんがニュージーズに携わることがジャニーさんへの恩返しになると大我くんは考えていた。大我くん、「ジャニーさんと積極的にコミュニケーションを取る方ではなかったけど、パフォーマンスを見て欲しいという思いは強かった」と話していたから、ジャニーさんにニュージーズを見てほしいという思い、かなり強かったんじゃないかな〜と思う。
2015年のエリザベートを見に来てくれた際、ジャニーさんは大我くんに「ユー、ミュージカル合ってるよ」と言ってくれた。大我くんはそのことを「今でも俺の誇り」だと話していたけど、小池先生には「君はミュージカルを続けなさい」と言われ、ジャニーさんには「ユー、ミュージカル合ってるよ」と言われた大我くんは、ずっとミュージカルのステージに立ち続ける人なんだろうなと思う。
それから、ニュージーズが決まってうれしかったのはそのキャパだった。5月はあの日生劇場で、6月は梅田芸術劇場のメインホール。これがどれだけすごいことなのか。
大我くんの初主演舞台となったBOSS CATでも大阪公演は梅田芸術劇場で行われた。ただ、このときはメインホールではなく、シアター・ドラマシティ。日程も東京は3日間、大阪は4日間。正直に言うと大阪は空席があった。大我くんがやたらチケットの売れ行きを心配して、毎日マネージャーさんに「チケット大丈夫ですか?」って聞いていたのは、このへんのことがあったからなのかなって思うと胸が痛かったし、悔しかった。
“日生劇場を連日満席にするまでの期待はされていなくても、上演が始まっていい舞台だってわかってもらえればどんどん口コミでファンの方も通ってきてくれるかなと思ったりしてます”
大我くん、日生も梅芸もきっと満席だったよ。連日一般応募やカード枠で売り切れになってチケットが取れなかったというツイートを見かけた。
あの日生劇場でまる1ヶ月。あの梅田芸術劇場のメインホール。これがどれだけすごいことなのか。もう「1ヶ月もあの日生劇場を埋めるなんて...」とか思わないでほしい。大我くんにかけられた期待と売り切れたチケットは本当に誇りだから。ステージ上から満席の光景、見てほしかったな。スタンディングオベーションして、満席の客席から鳴り止まない拍手を大我くんに送りたかった。
そしてこれはほんの一部かもしれないけど、大我くんがニュージーズのために努力してきたことも覚えておきたい。
舞台期間中はお酒は一滴も飲まない、辛いものは絶対食べない、のど飴とか吸入器でケアしている、地声でしゃべるのを避けるために友達と会う機会を減らす。
あとは前に話していたことも合わせると、マスクは欠かさない、お水は常温、エアコンはつけない、寝るときはのどをあたためて寝る、大好きなしめちゃんやちゃかちゃんの誘いも断る。
“神様が何か特殊能力を授けてくれるなら、どれだけ歌ってもかれないのどが欲しい”
大我くんはのどを本当に本当に大切にしてる。舞台期間中は特に気を遣って我慢して徹底的にのどを守って。大我くんの美声の裏側には大我くんが徹底してやってきた努力がある。今回もきっと何ヶ月もそうやって過ごしてきたんだろうなって思ったら、大我くんと大我くんののどをいっぱいいっぱい褒めたたえたい。
のどだけじゃない。ニュージーズに向けて自発的にボイストレーニングを始めた。
“今回初めてちゃんとボイトレというものを受けたけど、間違いなく身になるんだろうなって感じてる。今まで出しづらかった声が急に出やすくなった部分もあった”
大我くんがボイトレを始めた時期は定かではないけど、ラフスト期間中、大我くんの歌がみるみるうまくなっていったのを覚えている。
これはあくまで個人的な体感でしかないけど、ラフスト初日10/9は久しぶりのコンサートだったせいか少し不安定だったように感じた。そこから少し期間があいて、大我くんの歌を聞く度にどんどんうまくなっていて、正直恐ろしかった、いい意味で。こんな短期間でこんなに変わるんだってびっくりした。ラフストのオーラス12/25には、声量、音程、ビブラート全てが初日とは全く違うものに仕上がっていたように思う。
そして声だけじゃなくて、体づくりも。
“せっかくジャックに選んでいただけたからには、リーダーらしく、見た目も頼もしくしていきたくて”
去年の5月頃から自主的にジムに通い始めた。結果的に胸まわりは15センチ以上アップし、SixTONESの初期に作った衣装が入らなくなった。また、エリザ期間中にもジムに通っていた。それも休演日だけじゃなくて公演がある日も通っていたそう。YouTubeの撮影やお泊まりロケや音楽番組出演なども重なっていたあのエリザ期間に、ジムにまで通っていたと... 大我くんのストイックさには頭が上がらない。
店頭には大我くんが表紙の雑誌が並び始めた。デビュー組のミュージカル主演ってここまで手厚いのかとびっくりしたけど、どの雑誌も最高にかっこよくて、うきうきしながら本屋さんに通った。特にJ Movie Magazineは発売後、本屋さんからもネットからも消えた。売り切れた... その後重版が決まって、また店頭にちらほら並び始めたけど、大我くんはこんなにファンから愛されていて、こんなに人気なんだってまたうれしくなった。大我くんが表紙の雑誌たちは私の宝物。大我くんがニュージーズの主演だという証。
SixTONES結成と舞台が重なったとき、大我くんが3ヶ月抜けることを5人はたぶん良く思ってなかったと大我くん話してて。だから大我くん、憶測だけど5人に舞台の話をするとき、少し言いづらかったり気にしてたりしてたのかな〜って思ってて。
でも今回、Q. SixTONESのメンバーは今回の主演を何と?っていう質問に対して
“めちゃくちゃ喜んでくれました!出演が決まるたび、みんなのミュージカルへの関心が高まっていると感じます。特に『エリザベート』を観てくれたことが大きかったと感じます。たくさん褒めてくれたし、『ニュージーズ』も今から楽しみにしてくれています”
と答えていてめちゃくちゃうれしかった... SixTONESがめちゃくちゃ喜んでくれたこともうれしかったし、それを大我くんがうれしそうに話してることがさらにうれしかった。今から楽しみにしてくれているってことは、きっと5人もニュージーズ観に来てくれる予定だったんじゃないかなって思う。
それにもう大我くんが心配しなくても、きっと5人は大我くんの舞台出演を喜んでくれる。
2020年4月8日。
ニュージーズの中止が決まった。自分が観れないことよりも何よりも、大我くんがこれまで培ってきた努力やニュージーズに対する想いを振り返ると涙が止まらなかった。いま大我くんは何を思っているのだろう... 応援してくれていたまわりの人やファンに何て言葉をかける...?ぐるぐるぐるぐる自分の中でいろんな思いが駆け巡って、でも答えは出なくて、むしろもう答えは出ているからこそどうしようもなくて。
大我くんは自分の気持ちを「非常に入り乱れた感情」と表現してくれた。その言葉に救われた。自分が抱えていたぐるぐるした気持ちも肯定された気がして。
そして、最高の仲間と出会えたこと、それだけでも本当に幸せだ、と。
CDTVで大我くんがカメラにぶつかったときのことを、稽古でカンパニーのみんなにいじられたという話を聞いて、それだけでカンパニーの和やかな雰囲気がうかがえるし、そういう雰囲気を作り出していた大我くん、めちゃめちゃ良い座長だったんじゃないかなって思うよ。
そんな大我くんはファンに向けて「俺なりのやり方でみんなに寄り添わさせてね」と言った。
やっぱり大我くんだな〜と思った。やっぱり「明日も一緒に頑張ろうね」って寄り添ってくれる大我くんだ。
ニュージーズの中止が決まった翌日にあげてくれたImitation Rainの弾き語りも。きっといっぱいいっぱい考えて、撮ってくれた動画だと思う。それもきっと“大我くんなりのやり方で寄り添う”ということ。
ニュージーズが中止になってたくさん泣いたし悔しい思いも悲しい思いもした。だけど、それと同時にまた大我くんの優しさに触れることができた。また一段と大我くんのことが好きになったし、そんな大我くんを応援できることが誇りだと思った。
いまはまだ全部を前向きに捉えることはできないけど、少なくともニュージーズの主演として大我くんが出演することが決まってから、公演中止が決まるまで、たくさんたくさん幸せをもらったなと思い返している。
いつかいままで積み上げてきた大我くんの努力と想いが花開くことを祈って、これまで大我くんがくれたたくさんの幸せに感謝したい。
京本大我くん
ニュージーズ 主演 おめでとう。
そして、たくさんの幸せをありがとう。