きろく

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舞台『エリザベート』における京本大我ルドルフの手 ー生と死ー

 

 

 

そんなのただの思い過ごしなのかもしれない。エリザ期間に途中まで書いていたのだけどここまで引っ張ってしまったのは、正直、根拠が少なかったからです。でも、大我くんのルドルフをこの目で見ることはもうできないかもしれないし、やっぱり記録しておきたくて書き終えました。ただの自己満。一生答えの見つからない考察かもしれないけど、いち解釈として読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

ルドルフの最期は美しかった。

 

 

けれど苦しかった。

 

 

「生きたい」と「死にたい」がせめぎ合っているようで。

 

 

 

過呼吸のように「ハァーッ!ハァーッ!」って大きく肩で息をする。ルドルフの左手は大きく震えていた。そんな震える左手を必死に押さえつける右手。

 

ルドルフの左手と右手が闘っているようにも見えた。

 

勝ったのは右手。あんなに苦しそうだった呼吸はピタリと止まって、安心したような顔で拳銃を受け取る。

 

そして拳銃の引き金を引いたのはやはり右手。

 

死の勝利ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

私は京本ルドルフの右手を“死”だと思っている。

 

 

そして左手は“生”(せい)。

 

 

 

 

 

 

ーーー僕はなるんだ 強い英雄

 

 

幼きルドルフがうたった未来。彼は英雄になりたかった。

 

革命を起こそうとしたこと。ハプスブルクを守ろうと立ち上がったこと。それはルドルフが生きた証だと思う。

 

 

 

絶望の中、ルドルフはハーケンクロイツの前でうずくまって拳で床を叩く。拳を握ったのはやはり左手だった。マイクに入らない声で「くっ... そ...!!!」って言ってるのが好きだった。

 

 

一瞬でも、君はハプスブルクを守ろうとした英雄だったよって言ってあげたかった。

 

 

 

だけど生きるルドルフに死は囁く。

 

 

 

死ぬ直前までルドルフの左手は大きく震えていた。

 

「生きたい」「救いたい」でも「苦しい」

といったような思いがぐるぐるしているようだった。

 

そんな震える左手を諭すように押さえる右手。

 

「死にたい」とか「解放」そして「そばにいて」

そんなことを右手は語っているようだった。

 

 

 

 

 

 

死後、亡霊として再び登場した京本ルドルフは今度は左手で右手を押さえていた。自殺する前と逆。

 

 

 

その理由を2016年大我くんは

 

“死後に湧き上がったかもしれない悔恨”

 

と語っていたそう。

 

 

 

ルドルフは死を後悔していたーーー

 

 

 

あくまでそれは大我くんの解釈だけど。大我くんはルドルフに生きていて欲しかったと思っていたのだろうか。

 

 

 

話は逸れますが、大我くんのソロ曲『癒えない』の話を少し。冒頭での自殺シーンはまるでルドルフのようだった。

 

 

 

自殺シーンについて、

 

「“曖昧な空の下で、ある人は間違った覚悟を...”の歌詞に合わせて、冒頭で自殺する描写を演じさせてもらった」

 

と大我くんは話していた。

 

 

 

言うまでもないが、大我くんはルドルフという役をとても大切にしていたように思う。大我くんとルドルフに共通点があるとするなら“闇”だと思う。

 

 

でも『癒えない』の自殺シーン以降から感じるのは“死”というよりも“生”だった。もがき苦しみながらも生きるということ。

 

 

大我くんがルドルフの死に馳せる悔恨。『癒えない』の冒頭にルドルフの最期と同じ自殺シーンを取り入れたこと。苦しみながらも「光は何処だ?」と探し求め生きる姿。ルドルフにもこう生きて欲しかったと語っているような気もした。

 

 

 

余談ですが、大我くんがルドルフとして出演するエリザベート千穐楽を終え、迎えた8月。発売されたとある雑誌で大我くんは拳銃を持っていた。その手はなんと左手。たまたまだろうけど、大我くんが“生”の方の手で拳銃を持っていたことが嬉しかったのです。

 

 

そんな感じで私は京本ルドルフの両手に意味を感じるなどしていました。まあこんなトンチキ考察の真相はさておき、大我くんにとってエリザベートは特別で、きっとルドルフという役は一生大切にしていくんだろうなと思う。それだけはまちないない。

 

 

 

壁にぶつかっては乗り越え、また乗り越え、を繰り返しながら生きる大我くんの姿は美しい。ルドルフの分まで懸命に生きているかのよう。生きる大我くんをいっぱいいっぱい応援したい。そんなことを思いながら今日も強く生きる。